◆別名
◆所在
津島市本町1丁目41
◆交通
◆歴史
尾張徇行記の成信坊の項に堀田新右衛門屋敷との記載がある。
成信坊の創建は不明だが、明徳2年(1391年)に天台宗から浄土宗へと改宗したと言う記録が残されている事から、室町時代以前に、すでに屋敷はあったと考えられる。
天正2年(1574年)織田信長と長島一向一揆との戦いの際、三河から本願寺へ戻る教如上人一行は信長の軍勢に追われ、成信坊へと逃げ込んで来た。
この時、成信坊の住職であった祐念が教如の身代わりとなり、織田軍と戦って討死を遂げ、その隙に教如上人は本願寺へと脱出する事に成功したと言われている。
後に本願寺が東西に分裂し、東本願寺一世となった教如上人は、成信坊に対して『津島御坊』の称号を与え、別格の扱いをしたと言われている。
◆現在
成信坊は津島市内に多くある寺社の中でも有数の大きさを保っているが、屋敷としての遺構は残されていない。