勝幡(しょばた)城

2017年10月31日撮影


◆別名

大中臣安長屋敷

 

◆所在

稲沢市平和町嫁振東

 

◆交通:

勝幡城跡地:名鉄勝幡駅北口から徒歩約15分・駐車スペース無

織田信定古城蹟:名鉄勝幡駅北口から徒歩約10分・駐車スペース無

 

◆歴史

平安時代後期の尾張在地官人である大中臣安長の屋敷跡に、永正年間(1504年~1520年)に織田信定が築き、大永年間(1521年~1527年)に本拠地の津島より移り、本拠地とした城と言われている。

 

信定は天文元年(1532年)に家督を織田信秀に譲ると、隠居をして木下城へ移り住み、勝幡城は信秀に与えたが、信秀は同じ年に今川氏豊の那古野城を攻め落として本拠を移し、勝幡城には武藤雄政を城代として置いている。

 

天文3年(1534年)勝幡城にて織田信長が誕生(那古野城で誕生したと言う説も有)する頃、徐々に尾張の支配権を確立していった信秀は、弘治元年(1555年) に主家である織田大和守家を滅ぼし、清州城を奪い取って、さらに本拠地を移転。

この時、 城代の武藤雄政を野府城へと移したため、勝幡城は廃城になったと言われている。

 

◆現在

日光川と三宅川に挟まれた三角州に位置しているが、日光川は江戸時代に改修工事が行われており、城の大半は川底に沈んでいると思われる。

日光川にかかる嫁振橋の東岸には城址碑と看板が立てられており、 川沿いに200m程南へ下ると、織田弾正忠平朝臣信定古城蹟と記された碑が残されている他、名鉄勝幡城駅の北口ロータリーには勝幡城の模型と信長、濃姫の像が立てられている。


織田弾正忠平朝臣信定古城蹟と記された碑


勝幡駅ロータリーに展示されている城の模型